いつも笑顔のイメージがある佐々木健介さん。
鬼嫁と呼ばれている北斗晶さんとも仲の良い夫婦としても知られていますよね。
そんな佐々木健介さんのイメージとは全く違った噂について調査してみました。
佐々木健介さんについて、
✔・殺人者と言われる理由がヤバい!本当の引退理由に関係?
✔・シゴキや告発内容まとめ
という内容でお伝えしていきます。
真相を知ると、何とも言えないような気持になってしまうかもしれません。
佐々木健介が殺人者と言われる理由がヤバい!本当の引退理由に関係?

佐々木健介さんは、殺人者と言われていますが、どうしてそう呼ばれてしまうことになってしまったのでしょうか?
佐々木健介さんといえば、元プロレスラーです。
引退は2014年でそれ以降はテレビ番組などにご出演されていますよね。
そんな佐々木健介さんが殺人者と言われるきっかけになった出来事があります。
佐々木健介さんが関わったとされる事件は1995年のことです。
新日本プロレス時代に、佐々木健介さんが練習生に訓練を行っている時に起きてしまったようです。
佐々木健介さんはコーチとしてその場にいましたが、練習生の権瓶広光さんが練習中に倒れてしまったのです。
検査の結果、権瓶広光さんは脳挫傷と判断され、倒れてから4日後になくなってしまいました。
練習中の事故死と言われていますが、佐々木健介さんの後輩への行き過ぎた指導によって暴力で亡くなったのでは?とも言われています。
そういったことから殺人者と呼ばれてしまうようになったようですね。
警察は事故死との判断でした。
佐々木健介さんは取り調べについて「練習の事故」と話したようです。
プロレス界では練習中に起こる事故は珍しいものではありません。
練習中に死亡事故に発展してしまうことも過去に起きているので、警察も今回の件も事故と判断をしたのかもしれません。
しかし、佐々木健介と同じ釜の飯を食べて日本でも活躍した米国のプロレスラー、クリス・ベノワ(故人)が自伝『RING OF HELL』で名前は出していないもののこう綴ってました!
「権瓶広光の殺人事件はプロレスの歴史の中でも
おぞましさにおいて1、2を競うものだろう。
殺人容疑者が罰せられることもなく、
超のつくほどの有名人になっているのだからなおさらだ」
(中略)
「権瓶が練習をうまく乗り切れなかったため、
佐々木が怒りを爆発させたんだ。
佐々木は権瓶に危険なスープレックス(投げ技)を
何度も繰り返し、危険な角度で頭から落としていた。
練習生たちへの見せしめのために痛めつけようとしただけなのか、
それ以上の意図があったのか、それは分からないが
やり過ぎてしまった」
http://newsdays2008.blog.fc2.com/blog-entry-1804.html
権瓶さんは大学のアマチュアレスリング部出身でしたが、亡くなったのは入門から1週間後だったそうです!
関係者はこの件について事故だったと証言しています!
ですが、遺族の方などからすれば殺人者と言いたくもなる気持ちもあるかもしれませんね。
佐々木健介のシゴキや告発内容まとめ

佐々木健介さんのシゴキがすごすぎると言ったことや後輩からの告発などについても調べてみました。
弟子からの告白

佐々木健介さんの元弟子である西川潤さんが2013年8月に暴力をブログで告白しています。
そのお弟子さんが遅刻してしまった際には思い切り殴りかかってきたころがあったようです。
練習中に技を受け立てなくなっても、髪を引っ張られ起き上がらせ、同じ技を10回も受けたのだそうです。
このとき背骨はすでに圧迫骨折をしていたようで、とても痛かったに違いありません。
この暴力を告白した後輩は、告白した内容はごく一部ということや、佐々木健介さんの事務所から選手が次々と辞めているということが語られています。
他の方もいろいろと告白したい内容があるようですが、何かしらの圧力をかけて黙らせているという可能性もあるようなんです。
殺人者と呼ばれることになったことが引退の理由に結びついているのでしょうか?
佐々木健介さんが引退したのが西川潤さんがブログを書き初めた半年後の2014年2月11日でした。
直弟子の中嶋勝彦とのシングルマッチで敗れた後、「もう思い残すことはない」と突然発言し、2日後に記者会見で引退を発表しました。

佐々木健介さんが急に引退したのは、西川潤さんが真相をすべてブチまけることだったようです。
もし全てを暴露されたら、芸能界におけるイメージが落ちて、タレント活動が継続できなくなってしまうことを危惧しての引退だったそうです。
ですが、それ以前からトラブルが問題視されていたようです。
プロレス人生の歯車が、大きく狂い始めたのは、2002年の新日本プロレス退団を巡るトラブルと言われています。
きっかけとなったのは、5月2日に東京ドームで開催された「新日本プロレス創立三十周年記念 闘魂記念日」での出来事でした。
ゲストで来場していた新日本プロレスOBの鈴木みのるさんと再会した際に、前座レスラー時代に、「いつか、お互いビッグになって、また闘おう」と約束を交わしていた記憶が蘇り、佐々木健介対鈴木みのるさんの対戦カードが実現に向けて動き出したのだそうです。

新日本の10月4日、東京ドーム大会における対戦が決まりかけたが、
結局は11月30日のパンクラス横浜文体大会で行われることが内定していました。
パンクラスの尾崎社長が、新日本プロレスの上井文彦取締役に頭を下げて頼み込んだ結果だったようで、パンクラスの尾崎社長はその当時、鈴木みのるさんの扱いに困っていたようです。
扱いに困っていた矢先に舞い込んできたのが佐々木健介さんとの対戦でした。

アマチュアもどきの格闘家とは違い、ネームバリューはあるから横浜文体というビッグマッチでも集客できると考えた結果、パンクラスの尾崎社長は上井取締役に頭を下げました。
ところが、佐々木健介さんは足のケガや他にも、高山善廣さんや藤田和之さん、魔界倶楽部という新日本の外敵との対戦を優先させたいと言い出して鈴木みのるさんとの対戦を一方的にキャンセルしたようです。
この結果、上井取締役と獣神サンダーライガーがパンクラス事務所に出向いて謝罪することになりました。

鈴木みのるさんの先輩であるライガーが、急遽「オレで良ければ」と対戦を要求したようで、獣神サンダーライガーさんの男気に対して鈴木みのるさんは「最後の新日本魂を見た」と獣神サンダーライガーとの対戦を快諾したのだそうです。
その後佐々木健介さんは、東京ドーム大会の目前である2002年10月14日に「鈴木戦に関して自分を介さないで話が進んでいた。会社に対して不信感がある」と会見を開きました。
新日本プロレスに辞表を出した佐々木健介さんに対して新日本プロレスは10月7日から11月4日までの間、謹慎処分を言い渡すことにまで発展しました。
そういったことからもプロレス業界で過ごしていくのは難しいと考えたのでしょうね。
まとめ

今回は、佐々木健介さんについて見てきましたがいかがでしたでしょうか?
いつもにこやかなイメージからするととてもビックリする内容だったと思います。
プロレスの試合でも死亡事故なども起こってしまうのも現状です。
そのため、練習中に事故が起きてしまうこともあり、警察官の調べで「事故死」と判断されたようなので殺人者と呼ぶのは違うような気もします。
ですが、後輩の方などに対するシゴキがひどかったのも証言があり本当の可能性が高いです。
佐々木健介さんも若気の至りなどもあったのかもしれませんが、子育てもされていますし、家族のためにも改心されたのかもしれませんね。

