演歌歌手んの天童よしみさんは、とても元気で笑顔が素敵な方ですよね!
ノーベル製菓「VC-3000のど飴」のCMのイメージが強いという方も多いのではないでしょうか?
下積み時代にはとても苦労されたということですが、本当に素敵な歌声をされていますよね。
今回は、
・天童よしみに結婚相手や旦那はいない!
・天童よしみの家族構成
・天童よしみの学歴
・天童よしみの経歴
・天童よしみの年収
・天童よしみの自宅も調査!
という内容でお伝えしていきます。
天童よしみさんの気になる年収や自宅とは・・・?
天童よしみに結婚相手や旦那はいない!
天童よしみさんは、肝っ玉母ちゃんといったような懐がとても深いイメージがありますが、実は独身です。
2023年12月時点で69歳ですが、婚姻歴は一度もありません。
2022年5月に行われた歌手生活50周年記念コンサートでは、
と語っていました。
大尊敬している美空ひばりさんのような素敵な歌手になることを夢みて、ずっと歌手で居続けている天童よしみさん。
歌と共に50年以上過ごされているのってすごいですよね!
芸能生活50周年というのも驚きなくらいとてもお若くて歌声もずっと変わらないですし、維持するためにも努力をされているのでしょうね。
天童よしみの家族構成
天童よしみさんの家族構成は、両親と天童よしみさんの3人家族となっています。
天童よしみさんは、とても両親を大切にされている親孝行な一面があります。
仕事が休みの時には両親のために時間を取りたいという考えが若い頃からあったようです。
そんな天童よしみさんは、2008年に父親の義行さんを大腸がんで亡くされています。
それ以降は母親の筆子さんと一緒に暮らしています。
とても多忙を極めていることから、老人ホームなどに預けるという選択肢もあるとは思いますが、それでも基本的には天童よしみさんが1人で診ているそうです。
元気で歌手として過ごせているのも両親のおかげ、産んでくれた母親のおかげという感謝の気持ちを忘れずに過ごされていることが良く分かりますね。
本当に感謝の気持ちを大切にしている天童よしみさんだからこそ、歌手としても成功されているんだなと感じます。
天童よしみの学歴
天童よしみさんは、
大阪府八尾市龍華小学校
大阪府八尾市龍華中学校
を卒業後、大阪女子短期大学付属高校に進学しています。
現在は名称が変わり、大阪緑涼高校となっています。
1941年開校の私立高校で、部活動がとても盛んな学校として有名な学校となっています。
天童よしみさんが在籍時には女子高でしたが、2017年に男女共学化されて大阪緑涼(りょくりょう)高校に校名が変更となっています。
部活動が盛んな学校ではありましたが、天童よしみさんは帰宅部でした。
高校1年生だった1970年9月にテレビアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌を吉田よしみという名義でリリースしています。
「『いなかっぺ大将』の主題歌は『ちびっこのど自慢』という番組でグランドチャンピオンを受賞したことがきっかけで担当させていただくことになったんです。そこで初めてレコーディングを経験しました。」
高校1年生でCDをリリースしているということもあり、同級生からも注目される存在だったのでしょうね。
今のご活躍もきっと喜んでくれていることでしょう。
高校卒業後には、歌手活動に専念するために大学に進学はされていません。
天童よしみの経歴
天童よしみさんは、和歌山県出身ですが、4歳の頃から大阪府八尾市で育っています。
父親が歌が好きだったことから、7歳の頃には数多くののど自慢に出場するほどでした。
出場するたびに優勝するほど、当時から歌の才能があっったようですね。
フジテレビ『日清ちびっこのどじまん』に出場したところ、プロデューサーから日本コロムビアに紹介されました。
所属事務所も決まり、1970年9月10日、本名の「吉田よしみ」名義でアニメ『いなかっぺ大将』の主題歌『大ちゃん数え唄/いなかっぺ大将』をリリースしています。
72年には読売テレビ『全日本歌謡選手権』で10週連続勝ち抜きを果たし、7代目グランドチャンピオンに輝いています。
この番組で審査員を務めていた竹中労さんが作詞した「風が吹く」で天童よしみ名義で初めてのシングルをポニーキャニオンからデビュー曲として発売。
芸名の「天童」は「天から授かった童」の意味があり、竹中労さんが名付け親となっています。
その後は厳しい下積み時代を10年も過ごされています。
それから1985年のテイチクレコード移籍第一弾シングル「道頓堀人情」の発売で日本全国を巡回する地道な営業活動を展開しています。
地道な努力が実を結んだ結果、有線で流れたことなどをきっかけにヒット作となっています。
1993年にはNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、1996年発売の『珍島物語』は130万枚の大ヒットを記録。
1997年の『珍島物語』から2016年『あんたの花道』(2回目)まで27年連続、累計で28回の紅白歌合戦出場歴を誇り、日本を代表する演歌歌手の1人として活躍を続けています。
天童よしみの年収
コンサートなども毎年のように行っている天童よしみさん。
長年ファンという方も多いですよね。
2004年まで高額納税者などが明かされていた「長者番付」と呼ばれている記録を参考に見てみると、
であることが判明しました!
天童よしみさんが1996年にリリースした「珍島物語」は130万枚以上売れたミリオンセラーのシングルとなっています。
それから長者番付で上位にランクインしていました。
2004年以降は年収などに関しても、本人が明かすなどしないとほとんどわからなくなっています。
しかし、天童よしみさんは、長年歌い続けているというのもありますが、作詞などもされているので印税やシングルの売上など継続して収入があります。
そういったことを考えても毎年1億円ほどの収入があるのではないかと言われています。
使いきれないくらいお金を稼がれているということになりそうですね。
天童よしみの自宅も調査!
天童よしみさんの自宅は東京の麻布にあります。
なんと地上3階、地下1階というビルで、自宅兼事務所になっています。
天童よしみさんは個人事務所を経営されているので、自宅が事務所でもあるということなんだそうです。
NHK紅白歌合戦に出場した時の衣装など400着以上もある衣装部屋もあるということから、ファンからしたら自宅の公開なども見てみたいでしょうね。
自宅は2億円ともいわれていて、豪華であることが想像ができます。
また、滝も作られていて、和歌山県出身である天童よしみさんの父親が、故郷を忘れないために作ったと言われています。
「那智の滝」という熊野那智大社にある滝をイメージして作られたそうです。
しかし、天童よしみさんは、東京の自宅ではなく、4歳から住んでいる大阪府八尾市に今現在も生活拠点を置かれているようです。
天童よしみは大阪府八尾市にも自宅がある!
5階建てのビルを自宅として所有していることから、母親とこの家で生活をされているということになりますね。
防音を完備したカラオケルームがあり、歌のレッスンもこの自宅でできるようになっています。
この自宅にも衣装が500着ほどあると言われているので、相当な衣装部屋があるのでしょう。
また、噂によれば超高級住宅地と名高い芦屋の六麓荘にも自宅があると言われています。
東京と大阪の自宅はこれまでもテレビなどで紹介されたことはありますが、六麓荘の自宅は公開されたことはありません。
1000坪を超える敷地面積という話もあり、六麓荘でその広さの土地に家を立てるとなると、相当な額の金額になることは間違いないです。
六麓荘に住んでいる住民に向けて説明会を開催し、住民会の合意が得られないと家を建てられないとも言われていることから、ハードルの高さでも知られています。
しかし、天童よしみさんの年収や人当たりの良さなどを考えても確かに芦屋の六麓荘に自宅があってもおかしくはないですね!
天童よしみに結婚相手や旦那はいない!家族構成・学歴・経歴・年収や自宅も調査!まとめ
今回は、天童よしみさんの結婚相手や旦那さんはいないということや、家族構成や学歴、経歴なども詳しくお伝えしてきました。
年収や自宅はやはりすごかったですよね!
天童よしみさんは、大御所演歌歌手と今では言われていますが、苦労もされてきていることから、他の歌手の方などにも優しくて温かいのだなと感じました。
これからもずっと元気で歌手活動をされていってほしいですね。