宝塚出身で理想の上司とも言われている女優の天海祐希さん。
天海祐希さんは、ドラマの長いセリフなどでもNGをほとんど出さないとも言われています。
実は、宝塚時代にも伝説を残しているそうです。
今回は、
・天海祐希の宝塚時代の7つの伝説!主席入学や独自ルールのエピソードがすごい!
という内容でお伝えしていきます。
天海祐希さんは、どんな伝説を残したのでしょうか。
天海祐希の宝塚時代の7つの伝説!主席入学や独自ルールのエピソードがすごい!
天海祐希さんが残したと言われている数々の宝塚時代の伝説を見ていきましょう。
天海祐希の宝塚時代の7つの伝説①宝塚音楽学校への首席入学
宝塚歌劇団は毎年倍率も高く、入学発表の日には必ずテレビ局が取材をするなど、注目度も高くなっています。
天海祐希さんは、現役高校生でトップ合格をされています。
宝塚音楽学校は、予科(1年生)と本科(2年生)の2年制で、受験資格は15歳~18歳までとなっているので、合格倍率も高いのもですが、挑戦できる回数4枚までとなっているので、かなり限られていますよね。
毎年なんと1,000名以上がタカラジェンヌになるために受験をして合格するのは40名です。
本当にすごいことです!
その際に、歌劇団の演出家・植田紳爾氏が、天海祐希さんのお母さんに、
「よくぞ生んでくださった!」
と、感謝したという伝説があります。
宝塚歌劇団からはさまざまなスターが誕生していますが、そんなことを言わせるとは、やっぱり天海祐希さんはその当時からすごかったのでしょうね!
入学後も舞台を想定したレッスンがあり、寮生活が義務となっています。
朝から晩までレッスン漬けの日々で、礼儀作法も徹底して教育されているようです。
天海祐希さんは首席で入学をして、首席で卒業しているという優秀過ぎるのでは?と思えるくらいの人材だったようですね。
天海祐希の宝塚時代の7つの伝説②入団10ヶ月で新人公演主役に選出される
宝塚歌劇団には、「新人公演」と「本公演」の2種類の公演があります。
「新人公演」は、入団1年目から7年目までの新人のみが出演する公演になっていて、なんと天海祐希さんは、入団からわずか10か月で主演に抜擢されています。
250人以上いることもあり、新人団員で一度も主役に選ばれない人の方が圧倒的に多いです。
そんな中、天海祐希さんが主役と発表されると、上級生は「誰?」と大騒ぎになったと言われています。
天海祐希さんの伝説として語り継がれていて、未だに天海祐希さんの記録は破られていないそうです。
また、6年半でトップスターに就任するなど、異例の大出世なのも宝塚歌劇団の中では今でも歴史的に残っているようですね。
天海祐希の宝塚時代の7つの伝説③恒例となっているフィナーレでの大きな羽を背負わなかった
宝塚を退団する際には、大きな羽を背負うことが恒例になっています。
しかし、天海祐希さんは、恒例となっているのにも関わらず大きな羽を拒否したと言われています。
退団公演を見に来ているファンたちは一時騒然としたといいます。
身に付けるのが恒例になっている羽は重いものでは10㎏くらいあると言われています。
天海祐希さんは、普段から小ぶりな羽を好んでいたようで、ラストには背負わないという判断をされました。
恒例の羽をつけなかったものの、仲間に長年の感謝をする姿などから、自分ばかりを特別扱いしないようにという退団公演なのに、天海祐希さんなりの配慮があったのかもしれませんね。
天海祐希の宝塚時代の7つの伝説④ファンはどんな人でも平等
宝塚歌劇団には宝塚の演者とのお茶会をファンの方が一生懸命準備します。
天海祐希さんはというと、とても人気があるため、イベントはとても大盛況となりました。
しかし、一向にイベントが進まない天海祐希さんはしびれをきらして、
「てきぱき動きなさい!さっさと終わらせれば、その分たくさんお話しできる!」
と言ったといいます。
ファンに対して怒れるのもなんだか格好良いですよね。
嫌われないようになどと考ずに行動できるところが、ファンがまた増えそうなエピソードですね。
天海祐希さんは、ファンを差別しない気持ちをずっと持っていたといいます。
これは天海祐希さんの父親が、
と言っていたからなんだそうです。
退団時にはファンクラブの融資でイベントがあるのですが、派手なイベントなどを行わなかったそうです。
天海祐希さんは、ファンクラブ全員に、同じワイングラスをプレゼントしたといいます。
長年ファンだった幹部クラスと言われる人達と、入りたての新人ファンには派閥や格差が存在したといいますが、天海祐希さんはファンは平等というスタンスをずっと崩さなかったようですね。
天海祐希の宝塚時代の7つの伝説⑤独自のルールを作った
宝塚には暗黙のルールがいくつも存在していたようです。
、男役が外を歩くときは、髪をピンで止めるという規則がありました。
しかし、天海祐希さんはピンをたくさんつけることに必要性を感じなかったようで、独自のルールでつけなかったようです。
また、ファンの方へ出待ちを控えてほしい旨を伝えて働きかけを行ったのも天海祐希さんと言われています。
宝塚歌劇団の公演終演後にタカラジェンヌが帰路につくのは夜の10時過ぎと言われています。
そんな夜遅くに女性が外で出待ちをすることはとても危険ですし、夜に騒いでしまえば、近所迷惑となることにも繋がります。
そのため、出待ちをしたいファンの気持ちも考慮しつつ、それでも自分の気持ちを率直に伝えることができるのは、本当に素晴らしいことですよね。
天海祐希の宝塚時代の7つの伝説⑥トップスターに就任してからわずか2年で退団
天海祐希さんは、1995年12月、28歳のときに宝塚歌劇団を退団されています。
トップスターに就任してから大体5年ほど活動されるのが一般的と言われていますが、天海祐希さんは異例の2年での退団でした。
早すぎる退団になったことからいじめが原因では?とも言われていました。
色々な要素があったんですけど…ちょうど後々こういうスケジュールになりますよ、と月組のプロデューサーの方に先々のスケジュールを見せていただいて、その時にちょうど2年後の12月がパァーと光って見えているような気がしたの。
それが自分が大好きだった、一番最初に大きな役をいただいた『ミー・アンド・マイガール 』というミュージカルを再演しようと思うと言っていただいて、あっ、コレだ。コレで私はやめようと思って、私コレで辞めますと言ったら、プロデューサーが、「はっ?」ここで辞めますと!
引用:徹子の部屋
自分なりの区切りが見えていたということなのでしょうね!
身を引く潔さも天海祐希さんらしいですよね。
天海祐希の宝塚時代の7つの伝説⑦ファンが天海祐希についていった
今現在の宝塚ファンたちの間では、あまり天海祐希さんのファンだった人を見かけないと言われています。
天海祐希さんが退団したと同時に宝塚歌劇団ではなく、女優として活躍していく天海祐希さんを追いかけてついていったとも言われています。
退団公演では、5,000人もの人が集まったということで、天海祐希さんの宝塚歌劇団最後の姿を目に焼き付けたいという方が多かったようですね!
天海祐希の宝塚時代の7つの伝説!主席入学や独自ルールのエピソードがすごい!まとめ
今回は、天海祐希さんの宝塚歌劇団時代の伝説について見てきましたが、いかがでしたでしょうか?
天海祐希さんの伝説は、未だに破られていないものもあります。
とても優秀なタカラジェンヌだったことが分かりましたよね。
女優さんとしても好感度が高いのもうなずけます。
ドラマや映画だけでなく、舞台などもこなされていてとても多忙な毎日を過ごされているようですが、これからも天海祐希さんらしくご活躍されていくことでしょう。
これからのご活躍も楽しみにしたいですね!